みどり子の突撃インタビュー第2弾として登場頂くのは東光園緑化株式会社、代表取締役の田丸 敬三社長。
東光園緑化は明治38年、西暦でいうと1905年の11月に渋谷東光園として創業した歴史ある造園会社です。
今回は田丸社長に東光園緑化の歴史や事業内容、今後の造園業界で需要が増える分野とはなにかをお伺いしました!会社の歴史については、資料を探してお答えいただくなど会社のホームページに書かれていない内容も多く、非常に貴重なお話しであったと感じます。
また、転職活動中の方が知りたいけれど聞きづらい…と感じている、中途採用者のキャリアアップ例や平均年齢、資格手当についてなどのリアルな部分にも迫ります!
田丸 敬三|東光園緑化株式会社 代表取締役社長
大学を卒業した後、修行としてゼネコンへ入社し、大規模な高速道路の拡幅・トンネル工事、環境対策工事などで主に土木業を学ぶ。
5年後にそこで培った土木工事の知識や経験を東光園緑化に生かすべく入社。
入社後、建設省(当時)等の公園工事や、総合商社に出向し、戸建住宅の建築設計や外構設計に携わり現場の仕事を一通り学んだのち、34歳という造園業界では異例の若さで社長に就任。
明治創業の東光園緑化ってどんな会社?
今日はみどり子の突撃インタビューをお受けいただき、ありがとうございます。
どうぞよろしくお願いします!
こちらこそどうぞよろしくお願いします。
まず東光園緑化ってどんな会社なのか?というところからお伺いしたいと思います。会社の歴史から教えていただけますか。
弊社は明治38年(1905年)、渋谷東光園として創業いたしました。
ここ渋谷で、100年以上もの長きにわたる歴史を積み重ねてこられたわけですね。
おかげさまで現在は地元渋谷を拠点に、東京では台東区と品川区に営業所、大阪に関西支社、神戸に営業所を設けています。又、以前は中国の上海や北京で日本の造園技術の指導を行ったりもし、現在も北京の造園会社との交流を続けております。
中国にも進出なさっているのですね。ワールドワイドです!設立当初は、どのような事業を手がけておられたのでしょうか。
造園や土木業、それから今でいうグリーンのリースといいますか、貸植木業を生業として創業し、当初は鉢植木や観葉植物の栽培や生産も営んでいました。
グリーンのリースですか。当時では画期的なアイデアだったのでは?
そうですね。明治時代の当時、貸植木を行っていたのは僅かで、時代の最先端の試みと評価されていたようです。
非常に先見性を感じます。
私の祖父が創業者ですが、10代の頃から新宿御苑で植物の栽培を学んだ後、会社を設立いたしました。祖父の師匠に当たる方が「太陽のように東に昇って成長していくように」と、東光園という名前を付けてくださったそうです。
創業後のあゆみとその時代のリーダー達の信念
創業後、大正時代に入って明治神宮が創建されることになりますが、そのときに植樹作業や神宮の杜の林苑計画などに参画いたしました。
その他にも、明治神宮の鎮座式の祭式に当たり、屋外に植物を使った装飾の施工を請け負うなど、地元渋谷区のシンボルともいえる明治神宮関連の仕事等も手がけてきました。
明治神宮の創建は壮大な事業だったと思います。その事業に携わってこられたことに、歴史を感じますね。その後は、どのような歩みだったのでしょうか。
大正12年(1923年)に関東大震災で大きな被害を受けましたが、再興に努めると同時に機械化に尽力し、アメリカなどから自動車や重機などを輸入し、他社に先駆けて効率化を推進してまいりました。
昭和になると第2次世界大戦でまた大打撃を受けるのですが、創業者の長男が戦後復興に建設需要や緑化需要が高まると考え、昭和22年(1947年)に造園と土木の部門を分社化して、現在の東光園緑化を設立いたしました。
社名に「緑化」という言葉が使われているのは、珍しいように感じられますが…
そうですね。現在は緑化という言葉は普通に使われるようになりましたが、当時はまったく新しい言葉で、非常に珍しかったと思います。
その後は、どのような事業展開を行ってこられたのでしょうか。
戦後の高度成長期には住宅建設関連の造園事業はもちろんですが、公園施設などの造営も盛んになり、公園作りにも数多く携わってきました。当時は公園の遊具を作るメーカーが少なかったものですから、一から設計図を書き起こして、遊具の設計から製作までも手がけていたそうです。
造園とは直接関係のない遊具まで製作されていたのですか!すごいですね。
弊社は植物移植の技術が高く評価されていまして、1953年に京成電鉄が上野公園の地下に駅を作る際に、西郷隆盛の銅像の横にある大イチョウを移植する工事も請け負いました。
ターニングポイント「日本初の試みの成功」
1960年代には、商業施設の屋上の緑化を手がけます。日本初の人口軽量土壌を用いた屋上緑化を成功させたのは、弊社にとって大きな出来事でした。
人工軽量土壌による植物の育成は、東光園緑化が初めてとのこと。すばらしい業績ですね。創業当時のグリーンのリースからはじまり、工業化による効率化の取り組み、そして屋上緑化工事と、ずっと最先端を走ってこられたんですね!
屋上緑化工事を契機に、現在でも屋上等の人工地盤での緑化は多く手がけています。
このほか昭和39年(1964年)の東京オリンピック大会の会場となる公園やグランドの整備、昭和45年(1970年)に開催された日本万国博覧会の日本庭園や海外パビリオンなどの造園工事。平成になってからは、同じく大阪で開催された国際花と緑の博覧会など、国際的な行事での造園工事にも携わってまいりました。
2021年開催予定の東京オリンピック・パラリンピック競技大会に関しても、道路に緑陰(日陰)を増やすための街路樹の樹冠拡大事業を進めているところです。
国際的な行事の会場でも、ご活躍なさってきたとのこと。長年の実績と信用あればこそではないでしょうか。
創業者である田丸亀吉の時代を先取りする先見性と実直さ、そして二代目であり東光園緑化の創設者である田丸實の進取の気性と不屈のチャレンジ精神が息づいていると思います。
明治・昭和・平成、そして令和と移りゆく時代と共に変化する造園業の今
明治時代の創業から長い時間を経て、時代は平成から令和へと変わりました。現在はどのような事業に注力されているのでしょうか?
現在も国営公園や道路緑化などの公共工事をはじめ、商業施設や教育施設などさまざまな分野での造園・緑化工事を行っています。また工事完了後の植栽管理、そして弊社の強みである屋上や室内などに緑地を創出する事業にも注力しています。
その中で今後、さらにやっていきたいのは、アトリウムなどの室内緑化といった特殊緑化ですね。
室内緑化とは観葉植物ようなものでしょうか?
室内緑化は主に観葉植物を活用しますが、日ごろ屋外で見かける樹木なども使うようになりました。具体的には商業施設内やオフィスビルの中に大きな樹木を植えたりします。しかし、既存の建物の室内の場合、植栽を考えた建築設計ではないので、樹種の選択や重量の事も考えなければなりません。又、日光にあまり当たらなくても育つように植える前に徐々に日光に当てずに植物を慣らすような作業もあります。
そして窓からの日当たりや空気の流れなども計算しながら空間を作り上げるのです。
室内緑化は植栽樹の生育からデザインされているのですね。
まとめ
今回は、東光園緑化の歴史や現在の事業内容、今後増えてくるであろう事業についてもお伺いしました!
東光園緑化は、古くから伝わる技術や理念の継承を続けながら活動のフィールドを広げている会社であることがわかりました。
そのスタイルが現在も歴史的な庭園の維持管理や国際的な行事などの祭典にも多く関わっている所以ではないでしょうか。
そして、今後は今以上に屋上緑化に続き室内緑化の需要も増えていくであろうと、今後の業界予想についてもお話しいただきました。
後編では、東光園緑化が求める人材やキャリアステップについてなど深い部分をお伺いします。これらは募集要項にはなかなか載っていない情報ですから、転職活動中の人には必見ですよ!
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※本記事の屋外写真撮影は東京都渋谷区にある歴史的建造物(民家)、重要文化財「旧朝倉家住宅」の庭園にて行いました。渋谷東光園の創業者が作り上げたと言われ、現在も、東光園緑化株式会社が復元工事から維持管理にも関わる本庭園は、回遊式となっており、石灯籠などの添景物が多く配置され、春はツツジ、秋はモミジなどを楽しむことができるそうです。代官山駅や中目黒駅からもほど近い好立地ながら、一歩足を踏み入れればまるで森の中のような静寂と長い歴史を感じられる空間となっています。ぜひ皆様も一度訪れてみてくださいね。
住所:東京都渋谷区猿楽町29-20
開館時間:10時~18時(11~2月は16時30分まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は直後の平日)、年末年始(12月29日~1月3日)
観覧料:一般100円、小中学生50円、年間観覧料500円
(注1)団体(10人以上)一般80円、小中学生40円 (注2)60歳以上の人、障害のある人と付き添いの人は無料